生命の不思議な生態_第十二話

投稿日:2024年3月1日

生命の不思議な生態(第十二話)

 

繁殖出来ない植物(?)が人類を救ったイネ科の植物

 

6.イネ

 

動物は自分のテリトリーにある食物が少なくなると、繁殖を控えて数を減らしていく。そうすると食べる絶対量が少なくなり、食物が増えていく。

ある程度食物が増加すると、動物は繁殖行動を再開し数を増やしていく。この繰り返しにより、動物は、自然災害や気候変動がない限り、食料不足で絶滅することなく「種」が維持されていく。

動物の世界は、強いものだけが生き残る弱肉強食ではなく、棲み分けしてバランスを保ちながら生きている。指導者や命令権者がいないのに、全体のバランスを感知する能力があるのだろう。生物には、バランスの社会構造が備わっているように見える。例えば、

  • メダカの餌であるゾウリムシは、直径3ミリメートルしかなく肉眼では見えない。水槽の中にゾウリムシの餌であるバクテリアを入れると、ゾウリムシは増えるがバクテリアが少なくなる。しばらくすると、ゾウリムシ同士で生存競争が起きると思われるが、実際には起きない。何故?ゾウリムシは自分の排泄物の濃度を感知するセンサーを体の中に持っている。濃度が濃くなると、ゾウリムシは分裂するのを止め、餌が急激に減るのを食い止める。バクテリアが増えるのを待つ。これがゾウリムシの生き延びる知恵である。

 

  • ケニア・タンザニアの調査隊の報告で分かった事は、象の成熟年齢は8歳から30歳だが、象が増えすぎると成熟年齢が高くなっていく。要は、生殖期間が短くなるのである。象が増えすぎると食料が少なくなり、やがて象自体が絶滅してしまう。だから、象は生産調整をする。象は互いに餌を確保して闘争はしない。

 

  • 狼は縄張りを持つ。餌を確保するために縄張り争いをするが、その闘争で敗者を殺すような事はしない。負けることを悟った狼は、自分の急所である首筋を相手に差し出す。白旗である。相手はこれをされると、本能でそれ以上戦う事はしない。動物は、相手が負けを認めたらそれ以上戦わない。トドメを刺して殺す動物は人間以外にはいない。

 

人間は食物が少なくなっても繁殖行動を減らすことはしない。

むしろ、食料が不足するときに増え、飽食の時に人口が減る。バランスの社会構造が欠けている。

世界の人口は、今でも右肩上がりに増え続けている。世界全体でみれば食糧が不足しているのである。

そこで人類は、食料を増やすために、病気・害虫対策・気候変動に負けないように動・植物の品種改良を行ってきた。自然をあるがまま受け入れるのではなく、自然を自分たちの都合に合わせて変えていったのである。自然に適用した者だけが生き残るのではなく、自分たちに適応するよう自然環境を適用させて行ったのである。

 

元々、イネは東南アジアの熱帯地方が原産地で、雨季と乾季が必要だから雨季と乾季のない温帯では作れない。

そこで温帯地方でも米を作れるようにするために、イネの育つ環境を変える必要があった。

熱帯地方は、強い太陽の光と暑さが厳しい。イネは、葉の温度を下げるために大量の水を必要とする。そこで、田に水を引いて雨季の状態を作った。

水田で栽培される作物は、イネのほかセリ・レンコンがあるが数は少ない。

多くの植物は水の中では生きていけないからだ。

田に水を引くことは、葉の温度を下げるだけでなく、雑草を生えなくする一石二鳥の効果がある。

但し、水が豊富に与えられる水栽培の植物は、根が伸びない。根を伸ばす必要がないからだが、根が浅いと風で倒れやすくなってしまう。

熱帯地方では雨季が終わると乾季が訪れ、その乾季の時に根を思い切り伸ばす。温帯でイネを栽培するには、この乾季を作ってやる必要がある。

5月に田植えをして、イネの穂が出る前に水田の水を抜き、土が乾燥してひび割れするくらい乾かすのである。これを中干しと言う。夏の土用の時期に干すから「土用干し」とも言う。

中干しをすると、イネは危機を感じて、多くの根を張り巡らす。又、土のひび割れは土の中に酸素を供給する効果があるだけでなく、根腐れを防ぎ、根の活力を高める。

又、土を干して固くすると刈り取りが楽であるから、一石三鳥の効果がある。

 

  • 刈り取りの作業は一般的には9月頃だが、イネは穂が出てから40日~45日経過し、更に穂が出てからの積算温度が1,000℃に到達したときが収穫のタイミングだとされている。

 

こうして雨季と乾季を人為的に作ってやることで、水稲耕作は熱帯地方だけでなく温帯地方でも栽培可能となった。

明治以降になると品種改良の結果、北海道の寒冷地で栽培されるようになったが、北海道の米は美味しくなかった。その上、ササニシキが冷害による大被害を受けて栽培されなくなってしまった。その後、品種改良が進んで美味しくなり全国で食べられるようになった。

この品種改良は、農林省技官で天才的品種改良家「並河成資」によって行われ、特に宮城・新潟がコメ所となったのは、彼のおかげである。

寒い地域は7月に収穫される早稲(ワセ)であるが、本来イネは9月に収穫される晩稲(オクテ)が本来であり味も良い。それを品種改良によって、寒さに強く、早稲でもおいしい米を作った。彼はコシヒカリの生みの親である。

 

日本の地勢は、山と海の距離が近いため、川の水は流れが速くなる。大量の雨が降れば、河川から自然堤防を超えて氾濫する。流れた水は河川に戻れない。その水は貯まって地下にゆっくり浸透して地下水となる。こうして山と海に挟まれた平野部は湿地帯を形成する。

日本人は、この優れた貯水力がある湿地帯を利用して水田を作ったのである。

又、城を中心とする都市を造り、周辺部の湿地帯である平野部を水田に利用することによって食料を確保し、夏の暑い時期は、水田の水が蒸発して気温の上昇が緩和されるから地勢条件をうまく利用した。。

大雨になると激流になりやすく、氾濫による水害の被害が多いが、水田はダムの機能を備えているため、水害の被害を緩和する洪水対策にもなったのである。

日本の水稲耕作は、東南アジアから琉球・沖縄地方を経由して九州に伝わったとする南方説と、東南アジアから大陸に流れ、東アジアに広まったと言う大陸説、そしてその両方から伝来したという説がある。

新石器後期には、今ほど日本海が離れていなかったため、水稲耕作は比較的容易に大陸と船で行き来が出来たからで、BC4世紀頃の弥生時代には、稲作が広く行われたようだ。

 

イネは作物の中でも際立って収穫量が多い。手をかければ単位当たりの収穫量が多くなる極めて生産性の高い作物で、一粒の種子から小麦は20倍なのに対し、イネは110~140倍もある。

イネの栽培には、小麦と異なり大量の水が必要だが、日本の降水量は年平均1,700ミリメートルで、世界の平均降水量の2倍であることと、高温多湿な日本の夏の気候はイネに適している。

米が美味しく、誰でも腹一杯食べることが出来るようになったのは、ご先祖様の血の滲むような努力があったからである。

河川の下流域は、泥の深い湿地帯でイネの栽培には向かないが、河川の流れを制限して水路を引き、農業用ため池を作り、沼を干拓して大規模な水田を拓いていった。山の水は栄養を補給し、有害物質は水によって洗い流される。だからイネは小麦と異なり、連作障害を起こさない。

 

米は、ジャポニカ(日本型)、インディカ(インド型)、ジャパニカ(ジャワ型)の3種類あるが、1つの原種から分かれたのではないかとの説がある。

1つの原種から品種改良されて、そこから北に広がったのが寒さに強いジャポニカ米、南インド・東南アジアに広がったのがインディカ米、南の熱帯高地に広がったのがジャパニカ米だとされている。

更に米は、ウルチ米とモチ米がある。モチ米は劣勢の突然変異種で、東アジアでしか食べられてない。

アジア稲以外では、イタリア稲、アフリカ稲があるが生産量は少ない。

その理由は、米はトウモロコシや麦と異なり、加工されることが少ないからで、米を主食にしている地域が東南アジアや東アジアが圧倒的に多いからとされている。

日本は世界ランクで10位の生産量を誇っている。

東アジア以外の人は、ジャポニカ米がべとべとするから嫌いらしい。

日本のコメの品種はコシヒカリから品種改良されたもので、日本人は炊き立てのべとべと感(もちもち感)が何とも言えなく美味しいと感じる。

東南アジアの人々は、ご飯は手で食べる。インディカ米はサラサラしているから出来ること。手食は、東南アジア以外に中近東、アフリカで世界の40%に及び、残りが、箸、ナイフ・フォ-クである。

ジャポニカ米を食べる中国や日本は、このべとべと感ゆえに、手食ではなく箸の文化が根づいたのかもしれない。韓国は、米は基本的に「粥」として食べられる歴史が長かったせいから、匙(スプ-ン)を利用し、現在もご飯はステンレス製のスプ-ンで食べられている地域が少なくない。

米は日本人の主食としてだけではなく、文化の形成に大きく関与している。

少しオ-バ-だが、米イコ-ル文化と言ってよいほど、日本人の心はコメ文化で満たされてきた。

 

2013年12月4日、和食がユネスコの「無形文化遺産」に登録された。

和食の優れたところは出汁にある。4つの味覚(甘味・酸味・苦味・塩味)に加えて「旨味」が追加され海外で認められた。

「旨味(うまみ)」は、

  • 昆布出汁のグルタミン酸
  • 鰹節出汁のイノシン酸
  • 干椎茸等のキノコ類の出汁のグアニル酸
  • アサリ出汁のコハク酸

 

これらが調合されることによって奥深い味になる。

旨味は英語で「UMAMI」。日本独自の味だから、そのままの発音になったのだろう。覚えやすい。

和食の奥深さは単なる味だけでない。季節感・彩・盛り付け・料理方法が単一でないこと以外、食事環境、食事作法等総合的に海外で評価された。

和食の「無形文化遺産」登録に触発され、和食に合う日本酒も海外に輸出され大好評を得ている。

日本酒だけではない。

日本洋酒組合が、品質を高めるために2021年4月に独自の基準作りを始めた。

ジャパニーズ・ウイスキーとは、「自社で蒸留熟成したもの」と自主規制してから、日本のウイスキーは高級ブランド化した。世界で最も高級なウイスキーにしてしまったのだ。

和食が、無形文化財に文化遺産に登録されたと言う事は、後の代まで和食文化を守っていく必要がある。

若い世代の人たちは、和食文化を通じて日本文化を学ぶと、身近で興味が湧くのではないだろうか。

しかし、日本は2011年にパン食が米食を上回った。

朝食が手っ取り早いパン食に代わったのが大きい。昼は「そば」か「うどん」或いは「パスタ」で、夜は酒と肴で米を食べない人が多い。

米離れは、時代の波である程度は止むを得ないが、炊き立てのご飯に魚と野菜の煮物、それに味噌汁のおいしさだけは日本人のアイデンティティとして未来に承継していって欲しい。

 

周りが海で囲まれ、豊かな漁場に恵まれているにもかかわらず、乱獲によって魚が減少し、海外から輸入している現状は何とも痛ましい限りだ。

日本文化は、日本人自ら守るべきものである。

海外旅行者が、和食のすばらしさを褒めたたえているニュ-スを見ると、「浮世絵」と同じで、一旦、外国に迂回しないと解らないのだろうか。

 

 

中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。

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