生命の不思議な生態_第五話

投稿日:2023年8月1日

生命の不思議な生態(第五話)

 

寿命の不思議・・・その2

 

寿命を決定するのはガンだけではなく、ガンにならなくても生物はいずれ死ぬ。それは老化である。生物は、その種類によって細胞分裂の回数が決まっているようだ。(ヘイフリック限界)

限界まで分裂すると老化細胞になり、もう分裂しなくなる。

人の細胞分裂は一生分で50回と限られているから、年齢よりもむしろ分裂した回数が多い人は短命になる。例えば、紫外線を受けると肌細胞が破壊されるから、細胞分裂が早まる。だから、長生きしようと思えば、細胞分裂の回数を少なくしてやれば良い。

細胞には、染色体の両端でDNA分子をフタのように守っているテロメアというものがあるが、細胞分裂の回数を少なくすれば、テロメアが減るスピードが遅くなる。テロメア自体に遺伝子が載っていないから減っても問題は無い。

ところが、テロメアの短縮を抑える酵素であるテロメラーゼが人の体にあるそうだ。だからそれを活性化すれば良い。

但し、一定以上短くなると細胞は分裂を止めてしまうから、成長が止まってしまう。残念ながらテロメラーゼが遺伝子を活性化させて寿命を伸ばすと、がん細胞が増殖してしまう。

老人の肌が細胞分裂しても、赤ん坊のようなきれいな肌に生まれ変わらないのは、テロメアが短いままの状態で分裂するため、シミのある有松絞(ありまつしぼり)のようなしわくちゃの肌がそのまま出来てしまう。

テロメアは命の回数券である。使わなくても使用期限があり、遺伝子は一定期間しか保証してくれない。

遺伝子の設計図は人によって異なり、パソコンやスマホのデフォルトとは全く異なる。同じなら、世界中の人が同じ肌の色同じ顔になってしまう。子供は姿かたちだけでなく、性格から知能、才能、肥満、長寿、暴力性だけでなく、癖まで親に似ているのも遺伝子が影響しているようだ。

無論、生まれながらの要因が全てではなく、友達・恋人・結婚相手・仕事・学校・職場等、外的要因が加わって、その人のパーソナリティーを決定づけている。更に、人生を決定づけるのは、遺伝子に加えて私は「運」が大きく人生を決定づけていると思う。

 

細胞が分裂しないようにすれば長生きが出来そうだが、細胞は時間が経つと死んでしまうから、分裂を繰り返す。老化は、細胞の分裂の限界を迎えると起きる現象である。分裂を繰り返しているうちに、体内に炎症が起き活性酸素が発生する。

それによってDNAが損傷し、遺伝子の尻尾のようなテロメアの短縮が進みテロメアの短縮が進むと細胞分裂の限界を超える。これが細胞の老化であり、細胞の老化は組織の再生が抑制されるため、やがて終末を迎える。ところが、原核生物や一部の植物の寿命を人間の寿命と同じレベルで考えると、あまりにも不思議なことがある。

人間を標準にすれば、寿命は「天寿を全うする」ことだが、バクテリアや植物の寿命は老いて死ぬと言う命ではない。

バクテリアは死なない。仮にこの単細胞生物が分裂を繰り返して、人間のように老化細胞が老化細胞を作り、組織の再生が抑制され終末を迎えて死ぬとしたら、この世にバクテリアは存在しないはず。分裂後のバクテリアは常に新しい細胞だから。

朽ち果てた老木の根や枝から新しい芽を出す命、2つに切って植えた芋からはそれぞれ芽を出す命、挿し木や接ぎ木の命、伸びた「つる」の先端の芽、動物にはあり得ない命の引き継ぎがある。この命の引継ぎ全体が1つの命だとすると、寿命とはいったい何なのだろうかわからなくなってしまう。

一般的に生物は、天寿を全うして死ぬことは殆どない。人間だけが例外で、動物は子供のうちに栄養失調か他の動物に食べられて命を失い、植物の殆どは苗の段階で命を失う。ちょっとしたケガや病気でも命取りになる。

木は草と異なり結構長生きし、500年以上長生きするものもある。長寿の木は概して高木であり、低木のものは相対的に短命である。動物でもたくさんの卵を産む小型動物の寿命は短く、ゆっくり成長して少ない卵を産む大型動物の寿命は長い。

動物は「種」によって寿命が定まっているようだが、大型動物以外に野生の動物が天寿を全うすることはまずない。動物は繁殖が終わると寿命が尽きるようになっている。だから、人間のように老化現象は起きない。動物園で飼われている動物、家庭で飼われているペットは、生殖年齢を超えても生きている。最近、車いすを使って散歩している犬や猫をよく見かけるようになった。

私の子供時代にこんな年寄りの犬・猫は見たことがなかった。

人間は長寿化してきた。栄養・医療の発達や、暑さ寒さのストレスが家屋・衣料の発展によって少なくなっているからだろう。人間は動物と異なり、生殖年齢を超えてからが長い。生物の生きる目的が繁殖であれば、人間は必要とされない命を生きていることになる。いや、生きているより、生かされていると言ったほうが正しいのかもしれない。

本来、動物は生殖年齢を過ぎれば生きている必要がない。だから動物のオスはメスより短命にできている。メスは子育てが済めば存在理由がなくなる。だから性別のある生き物には必ず寿命がある。寿命がある生物だけが性を持っている。逆に性別のない、細胞分裂で子孫を増やしている単細胞生物には寿命がなく、外的影響を受けない限り永遠の生命があることになる。

細胞分裂で子孫を増やす単細胞生物は、何時、何処で有性生殖を獲得したのだろうか。有性生殖は異なるDNAが2種類となるから遺伝的多様性が生まれると説明されているが、無性生殖のほうが増殖するスピ-ドは圧倒的に早い。しかも有性生殖には寿命があり、必ず死を迎える。

自然は何故、こんな有性生殖を選択したのか。

最初の性別はメスだったのだろうか。メスは子供を産み、卵を産むから感覚的にはメスのような気がするが、生物学的には逆でないとおかしい。

XXがXYを生むと言う事はあり得ないからである。最初の性がオスならば、XYがXXを生むと言う事はあり得て、XX・XYの組み合わせが考えられる。

そうすると、神はアダム(男)を先に造られ、その肋骨でイヴ(女)が造られた話は理に適っている。しかし神でない限り、子供はメスにしか作れない。

卵が先か鶏が先かのような話であるが、生物の誕生の歴史はまだよく解っていないことが多い。しかし、解らないことが多いからこそ、生物の生態にはロマンがある。

 

 

中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。

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