中山鑑定士のコラム

投稿日:2021年2月22日

カレ-ライス(1)
~平和ボケの日本~

いよいよ、世界各国の運命がワクチン頼みとなった。
治療薬がない現在、ワクチンの有効性を信ずるほか手だてがない。今回の新型コロナ感染症対策は、世界の先進国に比べ、
・海外からの感染者の流入を阻止する水際対策、
・PCR検査数
・民間医療施設と公立病院との連携
・緊急事態発令のタイミング
・強制力のない自粛要請
・感染症法
等、かなりの問題点が指摘され、我が国の弱点が浮き彫りにされた。
唯一助かったことは感染者数が欧米に比べ極端に少なかったことである。その要因は、手洗い、うがい、マスクの習慣、三密を避け、飲食店等への強制力のない自粛要請にも拘わらず、国民の意識レベルの高さが称賛された。
それだけではない。免疫を高める和食事文化、アジア人の遺伝子が感染を防いだと、様々な説が言われた。
しかし、昨年12月から急に感染者数が増大するようになり、英国からの渡航者が持ち込んだとされる欧米型の変異ウィルスが、渡航歴のない人から陽性反応が出てきたため、それらの要因が強調されることは少なくなった。
中国は別格としても、先進諸国のコロナ対策は、国家権力を総動員して対応に当たったにも関わらず、我が国は国民への自覚に訴えることを中心に、私権を制限することに極めて慎重な姿勢をとってきた。その理由は、戦後75年間平和な時代を過ごしてきたせいで、平和を当たり前の常態としてきたために、感染症を有事と捉える危機意識を失ってしまっていた。戦前までの日本の安全保障は、武力攻撃だけでなく自然災害・感染症も国防の一環として、官民は意識していた。

武漢で新型ウィルスが蔓延したにも拘わらず、中国政府は極秘事項として事態の重要性を認識していた医師等に圧力を加え、WHOへの報告を遅らせた。トランプ元大統領は、意図的に報告を遅らせた中国政府を世界に向かって非難した。しかし、感染症の発症報告は、スピ-ドが要求されることは重要であるが、更に大事な点は、報告する政府の信用度である。何らかの意図をもってフィルタ-を通したデ-タ報告ほど危険なものはない。中国・ロシアはワクチン外交で存在感を高めようと懸命になっているが、デ-タの信用度だけがワクチンの需要を決定することに気付いているだろうか。ワクチンの需要を債務の額と軍事力に頼ることは賢明ではない。
先進国で両国のワクチンを導入する動きはない。今回のワクチンは、米・中退率の中、敵に着くか味方に着くかの「踏み絵」となった。だから韓国の動きが興味深かった。
安全性に問題があれば国家が破滅する。
今回の新型コロナに対して、日本政府はいち早く国家安全保障の問題と認識していた。それは、新型コロナウィルス感染症対策専門家会議のメンバ-を見れば一目瞭然だ。
総勢12人で、そのうち一人は私権制限と憲法との整合性をチェックする弁護士が入り、残り11人の医療関係者のうち8名は「ある施設」に関係するメンバ-だったからである。

1. 座長 脇田 隆字 国立感染症研究所所長
2. 副座長 尾身 茂 独立行政法人地域医療機能推進機構理事長

構成員
3. 岡部 信彦 川崎市健康安全研究所所長
4. 押谷 仁 東北大学大学院医学系研究科微生物分野教授
5. 釜萢 敏 公益社団法人日本医師会常任理事
6. 河岡 義裕 東京大学医科学研究所感染症国際研究センター長
7. 川名 明彦 防衛医科大学内科学講座(感染症・呼吸器)教授
8. 鈴木 基 国立感染症研究所感染症疫学センター長
9. 舘田 一博 東邦大学微生物・感染症学講座教授
10. 中山 ひとみ 霞ヶ関総合法律事務所弁護士
11. 武藤 香織 東京大学医科学研究所公共政策研究分野教授
12. 吉田 正樹 東京慈恵会医科大学感染症制御科教授

ある施設とは、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所理事長「上 昌広」氏によれば、
1. 国立感染症研究所
2. 東京大学医科学研究所
3. 国立国際医療研究センター 
4. 東京慈恵会医科大学
で、この4施設は戦前の軍部との関わり合いがある施設だと指摘している。
1~3は陸軍、4は海軍との関わりがある病院である。(註)
実は、感染症の専門病院の多くが旧陸・海軍の病院を継承して今日に至っているために、専門家会議のメンバ-の出身母体が旧軍部との関わりがあるのは仕方がない。ヨ-ロッパの国で、多数の感染者を出していることと、ロックダウン等の強制力を行使したことを考慮すれば、政府においても「有事」を想定して備えた結果ではないだろうか。但し、外国のように「有事」の際に、私権を制限出来る法律を用意していなかったために、国民から見れば政府の対応は、後手後手に回ったと映ってしまった。
現在の我が国の法律ではヨ-ロッパのようなロックダウンは出来ない。
今回、特措法の改正で、私権を制限出来るようにする法案には、与野党を含めかなり慎重な意見が多かった。国の感染症対策に違反しないよう十分な補償をし、それでも守らない人には丁寧な説明をし、説明しても違反を繰り返すような人に対して勧告し、それでも違反する人にだけ行政罰を与える。
違反者に対して非常にやさしさを感じる法案であるが、国民の目からすれば、行政罰を与えるまでの期間、感染リスクの危険性は放置されたままである。
酒気帯び運転の罰金が大幅に値上げされてから違反者が激減し、今では殆ど酒を飲んで運転する人がいなくなった。
この先、ウィルスが変異に変異を重ねて、欧米のように感染爆発が起きるか、或いはワクチンが思うように効かない場合、更なる未知のウィルスが襲ってくる可能性に備える必要がある。今回の新型コロナウィルス対応による特措法の改正は実に手ぬるい。他国のように感染症に特化した有事法を作る必要があったのではないだろうか。
戦争に対してアレルギ-反応を示すことは正常な感覚である。しかし、ウィルスは、国・人種・性別を選ばず人類を平等に襲う。ウィルスから徹底して逃げるには鎖国かロックダウンするしかない。鎖国すれば感染は防げるかもしれないが、その前に経済的に国家が破綻する。
平和と自由は、多くの犠牲と忍耐無くしては訪れない。
新型コロナウィルスは、未知のウィルスのため政府のみならず、専門家会議も医療関係者も適切な対応が出来なかったかもしれない。しかし、経済との微妙なバランスを適正にとることの出来る人は世界中に一人もいない。
未知の敵に対して人々は必要以上に恐れるものである。過去に、未知の敵に対して適切な対応が出来なかったために、甚大な被害をもたらしたことがある。
明治の中期のことである。この当時、軍部を脅かすような病気が発生していた。病気の原因についての見解は、陸軍と海軍で真っ二つに分かれていたため、日清・日露戦争での戦死者を上回る死者を出してしまったのである。
明治の中期までは、軍部には戊辰戦争の影響が残っていた。薩摩藩士は海軍、長州藩士は陸軍の縄張りがあったようだ。
前者では、山本権兵衛・東郷平八郎・西郷従道、後者では、乃木希典・児玉源太郎・山形有朋・桂太郎で、両者の対立は第二次世界大戦までしこりが残っていた。
縄張り意識は時として、競争することにより良い結果を出すことがある。しかし、情報交換を相互にしないために迅速な対応ができず、無駄なことが非常に多い。
コロナ対策は、各省庁が縄張り意識を持っていては対応に遅れが出る。縦割り意識の弊害は、根が深い。
さて、甚大な被害をもたらした明治中期の原因不明の病気は、陸軍軍医総監の森鴎外と海軍軍医総監の高木兼弘(薩摩藩士)との見解の相違と縄張り意識の弊害が対策を長引かせてしまった。
その原因不明の病気とは、一体何だったのか。

続く

(註)
【国立感染症研究所】
終戦直後の1947年に予防衛生研究所として創立し、2年後に国立予防衛生研究所に改称された。6年後の昭和30年に海軍大学校跡地(現在、「旧住宅公団シティコート目黒」…全戸数484戸の賃貸マンション)に移転した。海軍大学校は終戦とともに廃止され、その学校の建物は国立予防衛生研究所が使用した。
その後建物は老朽化したため、新宿区戸山1丁目に新庁舎を建設し移転したのである。この場所は、陸軍軍医学校、臨時東京第一陸軍病院があったところで、建設の際、敷地から多数の人骨が発見され、731部隊による生体実験の犠牲者ではないかと国内外で注目された。人骨以外にも人体実験に供された生首の標本が埋められていた。
1997年、国立予防衛生研究所は国立感染症研究所に改名している。
歴代所長に731部隊の医師がいる。何故戦犯が所長になれたのか。
731部隊は、アメリカへの資料提供の見返りに東京裁判で免責されたからである。それだけではない。アメリカの意図は、石井中将達がソ連に尋問されて実験資料が他国にわたることを恐れたからである。
その為、731部隊の医師は戦後活躍している。
戦後の製薬会社「ミドリ十字」は、内藤良一(元陸軍中佐、731部隊の中枢メンバ-)が創業した。多くの731部隊の医師はここに就職した。
1980年、薬害エイズ事件が起きた。血友病患者に加熱処理を行わず、ウィルスの不活性化を行わなかった非加熱製剤を治療に使ったため、2千人以上のHIV感染者を出した。国際的に安全性が疑問視されていた1983年以降においても、非加熱製剤を打ち続けていた阿部英(元帝京大学副学長、731部隊の医師)氏に、裁判所は無罪判決を言い渡した。血漿の国内自給が難しかったことと、医学的知見はなかったことが要因だとされている。ところが、非加熱製剤を製造した「ミドリ十字」の歴代3社長には、大阪地裁は実刑判決を下している。

【東京大学医科学研究所】
もともとは、1892年に、北里柴三郎が立ち上げた民間の機関だったものを1899年に内務省が国立伝染病研究所にした。その後、1914年に内務省から東京大学に移管したが、この時何か問題があったのだろう。北里以下職員も同時退職してしまった。そこで、当時陸軍医務局長だった森林太郎(小説家、森鴎外)が軍医を派遣し何とか伝染病研究所を支えた。
ここから、陸軍と東京大学医科学研究所との関係が戦後まで続いた。

【国立国際医療研究センター】
明治4年に軍医寮付属病院(麹町区富士見町)として創設された。陸軍省所属の病院である。1929年に現在の新宿区戸山に移転した。
1936年に東京陸軍第一病院と改称し、終戦でGHQに接収され厚生省へ移管された。
この新宿区戸山というところは、尾張藩「下屋敷」の一部であり、東京陸軍第一病院(国立国際医療研究センター)の隣が陸軍軍医学校で周辺に国立感染症研究所、近衛騎兵連隊があった。
現在の独立行政法人東京医療センター(目黒区東が丘)は、元は大日本帝国海軍軍医学校第二附属病院で、前身は、国立東京第二病院と呼ばれていた。

【東京慈恵会医科大学】
明治14年、私立の旧制大学の中で最も古い歴史を持つ単科の医科大学である。場所は、港区西新橋三丁目にあり、大日本帝国海軍軍医団の支援がある海軍軍医学校の実習病院であった。
明治20年に皇后が総裁となられてから、宮内省から多額の寄付(御下賜)があり、戦後空襲で焼失したものの幾多多難の末、看護学科設置の大学病院となった。
私学なのに皇室と海軍に何故関りがあるのか。
それは、ここの創立者が海軍軍医総監の高木兼弘であったからである。

中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。

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