中山鑑定士のコラム

投稿日:2021年6月7日

虹の人(1)

京都府宮津町に、日本三景(安芸の宮島,松島)の一つ、天の橋立がある。
随分前、不動産業を営む先輩から「不動産業に携わるのなら、出雲大社に参拝に行くべき」と言われ、名古屋から車で行った。急ぐ旅ではないので、名所旧跡を巡り、ここ宮津町で一泊した。翌日運よく快晴に恵まれ、生まれて初めて天の橋立を眼下に見た時、美しい景色とは思ったがよく言われているような龍が天から降臨する姿とは思えなかった。
ところが股覗きをしてみると湖面に映った雲が空にあるかのような錯覚に陥り、龍が天に昇っていく姿がはっきり理解できた。無論「確証バイアス」が掛かっていたのかもしれない。でも天の橋立は股覗きがお勧めである。
百人一首
“大江山 行く野の道の遠ければ ふみもまだ見ず 天の橋立”
和泉式部の娘である小式部内侍(六歌仙の一人)の一首である。母親の文を待ち遠しく待っている娘の心情が伝わってくる。ここ宮津町は地震予知に多少興味のある人なら専門家でなくても知っている「椋平広吉」が生まれ育った地である。
椋平(ムクヒラ)が尋常高等小学校を卒業した後、地元の漁師から、「栗田半島の黒崎方向に「日の粉」が出た後、必ず3日以内に海が荒れ、天変地異が起きる」と聞いていた。この言い伝えは、明治24年10月28日の濃尾地震(マグニチュード8.0死者7273名)が根拠になった話らしい。
因みに「日の粉」とは短冊状の不思議な虹のことで、椋平はこの虹を地震の前兆現象だと強く信じていた。
この言い伝えを基に阪神淡路大震災(マグニチュード7.3、死者6,434人)を予知したが、公表しなかった。彼は89歳で亡くなるまで観測を続けた。
虹の形で震源の方向を、虹の長さで震源迄の距離、色の濃さで規模、虹が出た時間で何時間後に地震が発生するかを一生掛けて観測した。
観測回数は実に7万回に及ぶ膨大なものであった。
椋平が、前日に予測されたとする地震は、
① 関東大震災1923年(大正12年)マグニチュード7.9、椋平19歳の時
② 昭和南海地震1946年(昭和21年)マグニチュード8.0、徳島高知が震源、震度6、死者1330人、椋平33歳
③ 福井地震1948年(昭和23年)マグニチュード7.1、震度6、死者3,278人、椋平35歳
関東大震災は説明の必要がないほど有名な地震である。
昭和南海地震は、4~6mの津波が生じた。
福井地震が問題の地震である。この地震は活断層との関係が見られなかったからである。この地震が切掛けとなって「何処で発生するか判らない」とか「地震は日本中どこで起きても不思議ではない」と言った地震予知不能宣言が出された。
椋平が、これだけの予知を出したということは、ナマズの異常行動と同列に扱うことは出来ない。
椋平が27歳の時、京都帝国大学理学部部長「石野又吉博士」が天橋立に行った際、二人が出会って地震の話をした。石野博士は、「もし君が地震を予知したら関西同士のよしみで、地元の京大に電報を打ちたまえ」と椋平に話したようだ。石野博士はおそらく冗談程度の軽い挨拶替わりであったのだろう。
その翌年1930年(昭和5年)11月25日、午後0時25分に、天橋立郵便局から打電があった。

つづく

中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。

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