7月号(「緑十字機」の物語②)
12.「緑十字機」の物語②
伊江島の飛行場は1,000ⅿの短い滑走路で、その先は50mの崖だった。必死の覚悟で着陸し、トラクターにぶつかってようやく止まった。
修理する時間的余裕はない。そこで一番機から米軍機に乗り換えてマニラに出発した。
全権団は、マニラで降伏要求文書を受領し、反乱軍襲撃に備え20日深夜に伊江島から「緑十字機」で千葉県木更津に向かった。
ところが途中、遠州灘沖で機体に異常が発生(エンジンが空転、それに燃料不足だった)した。
「何てこった!」パイロットはそう呟いたに違いない。
その原因は現在も分かっていない。
諸説があり、
①タンクに燃料増設を入れ忘れた説
②米軍はガロン(1ガロンは3.785リットル)、日本はリッターで燃料を計っていた。その行き違いでは?という説
③主翼に平行に並んだ六つのタンク以外に、胴体部分にタンクがある。ここが空だった・・・・整備員のミスだったという説
いずれにしても飛行を続行することは出来ず、不時着しか選択はない。
渥美半島を過ぎれば遠州灘は100Km続く砂浜がある(遠州大砂丘)。
海岸線近くの海に不時着すれば泳いで上陸できる。そこで、「緑十字機」は浜名湖のあたりで高度5000mに降下し、午後11時55分、暗闇の天竜川河口附近で緊急着陸に成功した。
機体の半分は砂浜、後半部は海中にあった。
この場所は、磐田市の鮫島海岸で、幸いなことに降伏要求文書は無事だった。
奇跡としか言いようのない事故だった。
米軍のB29(戦闘爆撃機)かと思って隠れていた2人の漁師は、日本語の声がしたので飛行機に向かい、乗組員たちを鮫島集落へ案内した。
道中、暗闇の中2kmの道を歩いて、集落にある雑貨屋に辿り着いた。そこから農協に電話をし、磐田市の袖浦飛行場(現在の「竜洋袖浦公園」)に向かったが、まともに飛べる飛行機は一機もなかった。
このため袖浦の陸軍中尉は、乗組員をトラックに乗せ、浜松飛行場(現在の「航空自衛隊浜松基地」)に向かった。
浜辺に置き去りにされた「緑十字機」は、波にのまれ消えていったが、村人たちはその前に飛行機内の備品を持ち帰っていたことは解っている。
だから当然、その備品は浜松基地の「浜松広報館」に展示されていると思った。
ところが、館内には歴代にわたって使用された日米の戦闘機を中心に展示されており、「緑十字機」から持ち帰られたとする備品は見当たらなかった。
入口の案内係りの女性に、「緑十字機から持ち帰られた備品はどこに展示されているのですか?」と尋ねたら、「以前にも、そのような質問をされるお客さんがいましたが、ここにはその備品はありません。浜松基地に保管されているかもしれません」。とのことだった。
「貴方から緑十字機の備品についての質問があったことは、部長に報告しておきます。」とうれしい返事をいただいた。
さて、袖浦の陸軍中尉が浜松飛行場に着いたとき、そこには四式重爆撃機の「飛龍」(曲芸飛行が出来る機体)しかなかった。
これを徹夜で修理し、調布飛行場(ここは大島、伊豆諸島に行く離島航空路線の拠点になっている)に飛び立ち、そこから東京に向かい、降伏要求文書は無事に大本営に渡された。
漁師が「緑十字機」を発見してから1週間後、連合軍が厚木飛行場にやってきた。誰もが一度は写真で見たことがある「マッカーサー」がパイプを加え、タラップを降りてきた場面はその2日後である。
ソ連軍は、終戦調印される前に領土を奪っておきたかったのだろう。
「マッカーサー」が厚木飛行場に降りた8月30日、すでに択捉はソ連が占領しており、その3日後の9月1日に国後・色丹、9月3日に歯舞が占領された。
歯舞は、9月2日、東京湾上で「戦艦ミズリー号」にソ連の代表が出席している中、降伏文書の調印式が行われた翌日に占領された。
占領された北方四島は、終戦の翌年、1946年2月2日に勝手にソ連領に編入されてしまった。ヤルタ会談の秘密協定があったからだろうが、ルーズベルトの対ソ宥和策は、歴史上最大の誤りとして、ヨーロッパ、特に東欧諸国から批判されることとなった。
ヤルタ会談の秘密協定は、ルーベルトとスターリンによる個人間の協定であり、国家同士の文書で交わされた正式な協定ではない。ルーベルトは、2月8日の秘密会談により日ソ中立条約を一方的に破棄し、ソ連に日本への参戦を促した。
アメリカの大統領権限はとても強く、議会の承認なしで、しかも日ソ中立条約を結んでいるのに、対日参戦要請をスターリンと交わすことが出来たのである。
日本では考えられないが、大統領制の国と付き合う時は、注意する必要がある。
結果的に、大きな利益を得たのはアメリカではなく、ソ連(スターリン)だけだった。
現在、国際法を最も守らなければならない国連常任理事国が、「拒否権」を使い過ぎて国連が機能不全に陥っている。軍事力で威嚇するヤクザの縄張り支配のような国際状況になってしまった。
何のための国際法なのか。
罰則のない法律は、守る必要のない法律であることは、国際連合が出来た当初から始まっている。
そもそも、国連は太平洋戦争時の連合国という意味だから、法ではなく軍事力にものを言わせている団体である。
軍事力に脆弱な日本は、正論が言えないどころか、未だ日本は敵国扱いされている。それなのに、日本は馬鹿正直に国連を頼りすぎている。いや、頼るところが国連しかないのが現状なのだろう。
「自分の国は自分で守る」という当たり前のことをしようとすると、反射的に「戦争反対!」という大きな声が国内から飛び出してくる。GHQの占領思想政策は今も健在である。
世界中の国が平和を欲しているから、戦争は起こらないと思うのは、経済学でいう「合成の誤謬」である。
国際競争は過酷である。防衛力が脆弱な国は、容赦なく領土をとられていく。
「歴史を学ぶのではなく、歴史に学ばない」から、お花畑理論になってしまう。
日本は他国に侵略されて、外国人に支配されたことは一度もなかった。
このまま元寇の時のように、「神風」を期待するだけでよいのだろうか。
「戦争反対!」のシュプレヒコ-ルだけで戦争抑止になると考え、国民に有効な「安全保障対策」を立てさせない政党がある。彼等には子供がいないのか。
中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。
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