5月号(「君が代」について)
10.「君が代」について
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
世界的な統計サイト「ワ-ルド・オブ・スタティスティクス」に、世界の国歌ランキングというものがある。
この「君が代」が世界一位に選ばれた。
世界で最も「地味」で、それも僅か32文字の短い歌詞なのに。
何故一位なのか。説明の発表がないのでよくわからない。
考えられることは、その成立が千年前に詠まれた、世界一古い詩だという歴史があるからだろう。
当初、「和漢朗詠集」で「我が君は、千代に八千代に・・・」と、「天皇の御代が永遠に続きますように」となっていた。ところが、その後の「古今和歌集」や「新古今和歌集」(読み人知らず)になると、「我が君」ではなく、「君が代」に変更された。
何故変わったのか。それは天皇を称える詩(うた)から、雅歌(祝賀の歌)、即ち、めでたい時に詩われる詩に変わって、しかも祝賀の筆頭に挙げられた。
「我が君」が天皇とされるのは、「君:キミ」の「キ」は、イザナギ(伊弉諾)の「キ」であり、「君:キミ」の「ミ」はイザナミ(伊邪那美)の「ミ」で、前者はおきな(翁:老男)の「キ」であり、「ミ」は、おみな(翁:老女)の「ミ」を表わす。
イザナギ・イザナミから生まれたアマテラス・オオミカミ(天照大神)の子孫達、即ち天皇を意味することは明らか。
ところが「君が代」とは、当時、主人・家長・友人・愛する人全般等、広い意味であった。「古今和歌集」からは、広義な一般人に変更され、天皇だけでなく国民を含めた意味になった。
この詩の意味が、国の平和と繁栄が長く続くことを願う国民の幸福と、平和の願いが込められた詩である。
それは、天皇が国民のことを「大御宝」(オオミタカラ)と呼んだことからそのように理解できる。
世界は力による支配が横行し、紛争や戦争が一向に止む気配すらない。
人類は、相互に平和で仲良く暮らしていることが本来の姿である。
そうした観点から、「君が代」は、日本の国歌にとどめ置くのではなく、世界人類のための歌に格上げし、平和の遺産とすべきだという声まである。
「君が代」が世界一に選ばれた理由は、そうした思いを汲み取ったのかもしれない。
前回指摘したように、「君が代」は戦いの詩ではなく、国の平和と繁栄、国民の幸福を永続するようにとの願いを込めている。
海外の国歌の多くは、革命家や独立を記念する歌で、内容に明確な違いがあり、それが評価されたものと思われる。
「君が代」は長年、海外の評価が低かった。日本人でも、オリンピックの表彰台でこの曲が流れると、葬送曲のように思う人が多い。とても、スポ-ツの祭典にふさわしい曲だと思えない。
ところが、今度のミラノ・コルティナオリンピックでは、「君が代」の意味を世界に向かって示してくれたことによって、一転して最高の評価になった。
特に、親日国で、しかも開催国のイタリアで称賛されたことは日本人として感慨深いものがある。
徳川時代迄は、国歌と言うものがなかった。
明治に入ると、国際化の波で政府にとって国歌の必要性があり、「君が代」が選ばれたが、もともとは百人一首のように詠まれて曲がなかった。
明治2年政府は、イギリス人の軍楽隊長「ウィリアム・フェントン」に作曲を依頼したが、日本人に合わなかったので、明治13年に雅楽化され、ドイツ人「フランツ・エッケルト」が編曲した。
その後、日本古来の雅楽をベースに、更に編曲して作られたのが現在の「君が代」で、国歌として制定されたのは、つい最近の平成11年になってしまった。
その間、「君が代」はよく歌われたが、法的根拠のある国歌ではなかった。
何故、こんなに国歌として制定されたのが遅れたのか。
平安時代に詠まれ、明治に作曲されたのに、軍国主義の象徴であるとして反対されてきたからだ。
反対派の人達は、「君が代」が長きにわたり、国民の祝賀の詩だったことを知らなかったのか。軍国主義下で天皇を称える歌として、強制されて歌ったという想いが根強かったのだろう。
時代を遡れば、江戸時代の結婚式は、「高砂」と「君が代」が謡われ、その両方共、結婚式の定番だった。但し、この頃、曲はなかったので長唄のように謡われていたようだ。現在、結婚式でこれを謡うことは無くなったが、新郎新婦が、「いつまでも幸せに生きて行かれるように」との願いを込めた詩だった。
私の青年時代まで、田舎の結婚式では「高砂」は定番だったが、「君が代」が謡われることはなかった。
「高砂」は、若い夫婦が共に白髪の入るまで、幸せになろうとなるようにと思いを込めた詩で、一方「君が代」は、この若い夫婦が子供を産み、その子が代々子孫を作り、子孫が繁栄してゆく姿を謡ったものだ。
1組の夫婦から多くの子孫が育っていく様子は、「細石(さざれ石)が巌となって苔が蒸すまで、千代に八千代に幸せでありますように」という願いが込められている。決して軍国主義を謳歌するものではない。
この度のオリンピックは、誤解され続けてきた日本人の精神性が、礼儀正しい選手達によって、海外の人達に伝わり、理解を深くして頂けた、
日本人にとっては、誠に意義深い大会だったのではないでしょうか。
中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。
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