3月号(ミラノ・コルティナ2026オリンピック)

投稿日:2026年3月2日

8.ミラノ・コルティナ2026オリンピック

 

17日間開催された冬のオリンピック「ミラノ・コルティナ2026オリンピック」が2月22日に閉幕した。

今回のオリンピックは、後世に残る伝説とも言えるストーリーを作った。

特にマスコミが大きく取り上げたのが、フィギュアスケートペアの「りくりゅう」(三浦璃来・木原龍一)だ。

最初のショ-トプログラム(SP)で、木原がリフトに失敗し、5位の惨めな成績に龍一は「終わった!」と涙を流し、演技終了直後から翌日まで泣いていたのを、9歳年下の璃来に「次のフリーでは、龍一君のために踊るから」と慰められていた。

そのフリーでは、SPで失敗した「オーバーヘッド・リフト」を、比類なき演技にし、世界歴代最高得点を得て、5位から一挙に金メダルを受賞したのだ。

これが世界中の人々の心を打った。

このペアは、この功績により金メダルの他に、日本選手団の解団式で「オリンピック特別賞」と「団長賞」を受賞した。

これだけではない。

「りくりゅう」のメダル表彰式で、「君が代」が流れた時、通常なら私語が多くざわめきが聞こえるのだが、授賞式に参加した人たちは、この時は私語はなく静寂に包まれていた。

「君が代」は外国で評判が良くない。日本の国歌は暗くて、ゆっくりで、西洋音楽から見れば音楽性に欠けているだけでなく、まるで葬送曲のようだと酷評されていた。

オリンピックというスポーツの祭典には、似つかわしくない。外国のような勝利を祝う歌ではない。一般的に海外の国歌は、独立あるいは革命歌が多く、勝利と栄光を讃える歌になっている。だからリズム・テンポは明るく、敵に勝利し自由を勝ち取った行進曲のような感じだ。

フランスの「ラ・マルセイエーズ」は革命歌であり、アメリカの「星条旗」は独立成功の歌である。

開催地のイタリアは、オペラの国である。彼らにとって「君が代」はあまりにも異質で、不気味な歌だと思われても仕方がない。

SNSやメディアでは、「情熱が感じられない!」、「旋律もない!」ことから「現代的にアレンジを加えて、国家や民族を称える歌にした方が良い」というアピールもあった。海外では君が代を聞くたびに、親指を下に向けブーイングの態度を取る人もいた。

一方で日本人は、メダルを受賞して勝ち誇るのではなく、観客に深く一礼し、応援した人々に感謝の気持ちを表し、礼儀正しく振る舞う控えめな国民としての評価がある。そこが、イタリアのマスコミの人達の心を打ったのではないだろうか。

何故、日本人の礼儀正しさに心を打たれたのかというと、ここには前段がある。

海外から「君が代」批判がある中で、この誤解を解こうとメディアやSNS・自身のコラムで、「君が代」の意味とこの歌の歴史を広く海外に広めた人がいる。

日本の外国人タレントで、日本の精神文化に詳しい「ケント・ギルバート」氏である。

彼は、「君が代」が永遠の平和と幸せが続くことを歌う国歌であると説明したことで、特に欧米人の人達には、日本の精神文化の奥深さを知ることとなった。

日本人以上に王朝が続いた国はなく、革命や宗主国から独立して国を立ち上げた国家は歴史が浅い。又、「君が代」からは、戦う銃の音が聞こえてこない。

「動」の世界ではなく、「静」の世界が表現されている。

詩から聞こえてくるのは、岩の間を静かに流れる水の音と、周辺の森から聞こえる鳥や虫の声だけだ。

ギルバート氏のお陰で、日本人が表彰台に立ったときに流れる国歌に対し、観客が私語を謹んで耳を傾け、静寂な空気に包まれるようになった。

こうした理解があって、イタリアのテレビ局は「君が代」の歌詞を英訳し、テロップで流し続け、永続する平和を願う歌だと解説した。

戦いの勝利者は相手を打ちのめし、殺して勝ち取るものではなく、平和な時を刻み続けあげた者である。

「りくりゅう」の金メダル授賞式はこのこともあって、静寂な国歌が流れた。

閉会式が近づく頃には、多くのメディアが「君が代」の話題を取り上げ、自分達の勝利を勝ち誇るのではなく、スポーツを通じて世界中の人々の幸せが、苔が生えるまで続きますようにと歌う願いが、人々の心を捉えたのだろう。

それでは、「君が代」はどんな国歌なのだろうか。

 

 

中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。

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