12.ひとときの幸せの話
NHKは「短編動画コンテスト」を毎年行っている。この中に「幸せな人」というのがあり、入賞作品になった。
動画の内容は、
人間関係が嫌になって会社を辞めた青年サラリーマン(独身)が、アパ-トに引きこもっていたが、ある日コーヒーを飲みたくなり、近くの自販機で缶コーヒーを買った。
お金を入れ、コーヒーを手に取ると、女性の声で“ありがとうございました”と言った。誰とも口をきいていないので、その声をまた聴きたくなってお金を入れた。結局、缶コーヒーを5本買ってしまった。
ある日、その声をまた聴きたくなって自販機の前に行くと、その自販機がスプレーでめちゃくちゃに落書きされていた。
彼は、シンナ-とラッカ-を買ってきて、その汚れをきれいに拭き取った。
ピカピカになった自販機を見て、何とも言えないすがすがしい気分になった。“よし”と思って帰ろうと歩き出したら、うしろから声がする。
女性の声で、“ありがとうございました“と聞こえた。
振り向くと、親子連れの人が飲み物を買っていた。てっきり掃除のお礼かと思った。
「自販機がお礼を言うわけがない」と納得したが、2・3秒は幸せな気分になった。
という内容だった。
誰に頼まれたわけではないのに掃除をして、ピカピカの自販機を見てすがすがしい気分になったことと、ありがとうの感謝は自分に向けたものではなかったが、一瞬幸せになった。
人は他人に愛されていると思った瞬間、幸せな気分になれるのである。
これが機械でなく、人間だったらどんなに幸せを感じたことだろう。
と、この動画は評価されたのだろう。
“情けは人の為ならず“
とは、「他人のためではなく、自分のため」という意味だ。
13.旅した人形の話
チェコのプラハを訪れた際、プラハ城を出て左に歩くと「カフカ博物館」があり、興味があったので中を覗いてみようとした。ところが、その日はあいにく休館日だった。
「変身」、「審判」、「流刑地にて」、「城」等の長編のほか、多くの短編小説を書いた「カフカ」であったが、彼が友人に当てた遺稿では、「自分が死んだら総て焼却して欲しい」と言う内容だった。ところが、友人は「カフカ」を裏切り、総てを出版してしまった。金儲けのためではない。出版社からの報酬は総てカフカの遺族に寄付しているからだ。
これらの小説が世に出されることなく、焼却されてしまっては大変だ。その友人は当然、カフカがただ者ではないと理解していたのだろう。
カフカの晩年、こんなエピソードがある。
いつものように、カフカが恋人のドーラと一緒にベルリンにある公園を散歩していると、一人の少女がベンチに座って泣いていた。
ドーラが声を掛けると、少女は大事な人形をなくして泣いていることがわかった。カフカは、僕が探してあげると約束した。
少女にその人形の特徴を詳しく聞いた。体の大きさ、髪の色、髪の長さ、目の色、服装、手や足が曲がるかどうか。彼はメモをして翌日、その場所で少女に会う約束をした。
カフカは、町の人形屋・古物商を一軒一軒訪ね、メモに書いてある人形があったら知らせて欲しいと店主に頼んで回った。
翌日、彼は少女に会って言った。
「人形は、遠いところに旅に出たようだ。明日、僕のところに手紙が来ることになっている」と少女に伝えた。
少女は飛び上がって喜んだ。
“明日ここで待っている”
少女は、繰り返し・繰り返し人形の名前を呼んで帰って行った。
次の日、カフカは手紙を携えて少女に会い、手紙を読んで聞かせた。
残念ながら、その手紙は発見されていないので、内容は不明だ。
カフカは、人形が旅先から送ってくる手紙を書き続けて、毎日少女に読んで聞かせた。
当時のカフカは結核の病状が重くなっていて、残された時間は一年もなかった。しかし恋人のドーラによると、小説を書くのと同じ真剣さでカフカはこの手紙を毎日書いていたそうだ。
カフカの手紙には、人形が旅先で、様々な冒険をしていたことが書かれていたようだ。
3週間経った頃、町の古物商から「人形が手に入った!」と連絡が入った。
カフカは、翌日少女に会ってその人形を渡した。
“私の人形じゃない!”
少女は落胆のあまり、大声で泣いた。いつまでも泣き止まなかった。
泣き終わるのを見届けて、カフカは少女に優しく言った。
“この子は遠い国で、見知らぬ大勢の人達と過ごしたから、大変疲れてしまったのだよ。だから姿・形は少し変わってしまったけど、お嬢ちゃんに会えてすごくうれしいと言っていたよ。大事にしてあげてね。”
少女は泣きべそをかきながら、人形をおもいきり強く抱きしめた。
その日、カフカはベルリンを去りプラハに戻った。
人形は、遠い旅先で結婚したので戻ってはこない。少女は納得した。
という話もあり、手紙が残っていないので真偽のほどはわからない。
不条理の作家として有名なカフカだが、少女との出会いの話は不条理さが無いだけでなく、生を肯定的に捉えており、これがカフカの真意だったのではないだろうか。
「救いがもたらされることは決してないとしても、僕はいつでも救いに値する人間でありたい」(フランツ・カフカ)
中山恭三(なかやま きょうぞう)/不動産鑑定士。1946年生まれ。
1976年に㈱総合鑑定調査設立。 現在は㈱総合鑑定調査 相談役。
著書に、不動産にまつわる短編『不思議な話』(文芸社)を2018年2月に出版した。